~2013年写真館まとめ
自民党会派視察で和歌山県串本町のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑・トルコ館視察後、京都へバスで移動中、十津川の土砂災害被災地を通過。あらためて自然災害の脅威を目の当たりにした。
*エルトゥールル号の悲劇
1890年(明治23年)秋。エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。明治天皇に拝謁後、帰国の途に就いたが、和歌山県串本町沖で同号は座礁。581名が死亡、串本町大島の住民が必至の救助に当たり、69名を救出。この時、台風により出漁できず食糧の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努めました。
その後、乗組員は神戸で順調に回復し、軍艦比叡と金剛二隻でイスタンブールまで向かいます。新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれています。
時は流れて、1985年。イラン・イラク戦争が激化する中、イラクはテヘランを空爆。当時日本企業社員やその家族250名が取り残されたが、日本からの救出機は来られず、オザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返えそう」と救援機派遣を決断。トルコ経由で全員無事帰国。
会派視察:山口県萩市立明倫小学校
明倫小学校では、昭和56年(1981年)より、毎朝、朝の会の時に、松陰先生の言葉を声高らかに朗唱します。学年ごと、学期ごとに言葉が変わります。小学生にこんな難しい言葉を言わせて、・・・という意見もあります。しかし、昔か素読という学習方法もあり、「読書百篇、意自ずから通ず」と言われるように、毎日声に出して言うことにより、だんだんと意味がわかってくるようです。大人になってからも、ふと思い出すこともあると聞きます。論語の中に「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」という言葉もあります。物質は豊かになったけれど、心が貧しい人間が増え、道徳教育の重要性が叫ばれている昨今です。これらの松陰先生の言葉が、子どもたちの心の支えになってくれることを願ってやみません。(明倫小学校ホームページより)